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わが手観

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手

今朝、手の事で、思い出したのだ。これは、誰かに役立つかもしれないと思い書くのである。新聞配達には、プロの配達員がいる。突然、店舗で配達員不足になった時の配達請負人。全国にいるそうである。素人の配達員で一週間で覚えるのを彼らは、その日の内に、覚えて配達するのだ。ぼくは、店に来たプロの配達員から、こんなことを教えてもらった。たわいもない話かもしれないが、僕は、今も、大変に助かっているのだ。
新聞は、朝刊ともなれば、分量は、生半可のものではない。バイクのタイヤが、パンク寸前になるくらいに荷を前のカゴと後ろの荷台に積む。一回では済まず、大体が、取りに一度は、店舗に帰るのだ。配達区域の遠い場合には、専用の車で、配達員の願う中継点に新聞を置いてくれる係りがいる。その新聞は、解けないように梱包されるのである。梱包用のバンドをハサミかカッターで切りらないといけない。ぼくが、持参するのを忘れて困っていた時、こうすれば、簡単にバンドを切れるよとプロの配達員から教えられた。それは、一度、荷をひっくりかえし、バンドの繋ぎ目を手で引き抜くと簡単に千切れるのである。ぼくは、人間の手の力に恐れ入った。カッターを買わずに済むようになったのだ。神が、ぼくら人間のためにつくってくださった手の力は、偉大であると思う。

手の力を五点にまとめてみた。①統一教では、子供の誕生日には、父母が、子供の頭に手を置いて按手して神の祝福を祈る。按手による手の成す業である。②手は、物を切る代用の力である。新聞の梱包バンドなど。③手は、計算する力がある。そろばんの驚異的暗算の能力。彼らは、目に見えないそろばんを頭の中でイメージして見えない自分の手の指で算盤をはじき計算するのだ。④手相研究で人の内性を知る事ができるのだ。人の判断に大いに役立つのである。⑤救いの手である。30年の間、6度入退院を繰り返したぼくの持病。僕の場合、重い腰痛である。今は、回復している。治療費がばかにならないぐらい費やした。股関節から両足に血流がめぐらず、慢性の冷え性。それが、手の力で、叩いてあげると堰き止めていた田んぼの水が流れるように、両足に暖かい血が流れ、僕の持病は解決していったのである。お金のかからない自分でできる治療法である。神は偉大な医者という。ぼくらは、他人や医者や薬に頼りがちである。神は、偉大な医者となぜそういうのか。神は、ぼくらに手と言う医者を付けてくださっているからだとぼくは思う。ぼくが、手の価値に目覚めたきっかけは、韓国にお住まいの再臨のキリスト・御父母様に侍られる金孝南訓母様から教えていただいたものだ。

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注:「手」高村光太郎
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